鎌倉の大仏さまは、江ノ電長谷駅から通称大仏通りを500m北へ上る高徳院にあります。

 武家政権と民衆の安寧を願ってつくられた金銅の鋳造仏で、仁王門を入ると高さ13.35mの大仏さまが待ち構えています。

 高徳院は浄土宗の寺院で、本尊は国宝銅造阿弥陀如来坐像の鎌倉大仏さまです。

 正式には大異山高徳院清浄泉寺と号しますが、開基(創立者)と開山(初代住職)はともに不詳です。

 寺の草創については、鎌倉市材木座の光明寺奥の院を移建したものが当院だという説もありますが、定かではありません。

 初期は真言宗で、鎌倉・極楽寺開山の忍性など密教系の僧が住持となっていました。

 のち臨済宗に属し建長寺の末寺となり、江戸時代の正徳年間(1711年 – 1716年)は浄土宗に属し、材木座の浄土宗関東総本山の光明寺の末寺となっています。

 高徳院の院号を称するようになったのは、浄土宗に転じてからです。

 大仏の造立経緯や大仏殿の倒壊時期については諸説あり、1252(建長4)年に鋳造が開始されたこと以外は謎につつまれています。 

 当所は銅造ではなく木造であったという説もありますが、1252年から造立の開始された大仏が現存する鎌倉大仏であるとするのが定説です。

 大仏殿の存在は平成12年から13年(2000 – 2001年)に実施された境内の発掘調査によって確認されており、大仏はもともと大仏殿のなかに安置されていたことがわかっています。

 大仏殿については、従来、室町時代にも地震と津波で倒壊したとされ、境内発掘調査によっても、応安2年(1369年)の倒壊以後に大仏殿が再建された形跡は見出されませんでした。

 近世以前に造立された大仏について、東大寺大仏 (現存)、鎌倉大仏 (現存)、雲居寺大仏 (現存せず)、東福寺大仏 (現存せず)、方広寺の京の大仏 (現存せず)などの大仏が挙げられます。

 天災や戦乱で失われたものが多く、鎌倉大仏は、造立当初の姿をよくとどめている貴重な存在です。

 江戸時代には、鎌倉大仏 (像高約11.39m)、東大寺大仏 (像高約14.7m)、方広寺大仏(京の大仏)(像高約19m) の三尊が、日本三大仏と称されていました。

 2004年(平成16年)2月27日に、境内一帯が「鎌倉大仏殿跡」の名称で国の史跡に指定されました。

【鎌倉おすすめ 鎌倉大仏】鎌倉大仏、言わずと知れた、鎌倉を代表する名所です。
露座の大仏として有名な国宝銅像阿弥陀如来坐像を本尊とした高徳院の御本尊です。
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