起源は不明ですが、天照国照彦天火明奇玉神饒速日尊が天の磐船に乗って河内国河上の哮ヶ峯に降臨されたとの伝承が先代旧事本紀にあります、

 磐船神社
 大阪府交野市私市9丁目19ー1

 交野に勢力を保っていた肩野物部氏という物部氏の傍系一族の氏神であり、この一族が深く関わっていたとされています。

 物部守屋が丁未の乱で蘇我馬子に敗れて滅びると物部氏自体の勢いも弱まり、肩野物部氏は交野から一掃されて当社は衰退しました。

 以降は当社を総社としていた私市、星田、田原、南田原の四村の人々によって護持されました。

 天の磐船と呼ばれる巨大な岩が御神体です。

 こちらの神社では「岩窟めぐり」という巨大な石と石の間の隙間をぬって登りながらお参りをするというスタイルです。

 この岩は、大坂城の修築の時に切り出そうとした加藤清正によって傷つけられましたが、その後、雷に打たれて加藤清正は死んだと言われています。

 磐船神社の周りには、美しい渓谷や神秘的な岩窟があります。

 岩窟めぐりは、生まれ変わりや自分の弱さを克服するための修験の行で、勇気と信仰が必要です。

 境内にはたくさんの巨石があって、中には洞窟や穴ができています。

 そこをくぐったり登ったりして、神秘的な空間を体験できます。

 中世以降は、山岳信仰や修験道の行場とされ、北峯の宿・岩船の宿として栄えました。

 また、天の磐船から航海の神様である住吉三神を祀る住吉信仰が当社に入っています。

 その後、度重なる天野川の氾濫により社殿、宝物などの流失が続いて衰微しました。

 神社のすぐ横を磐船街道が通っています。

  かつては国道168号線の一部であり、大阪府交野市と奈良県生駒市の県境近くに位置する神社付近では道路幅が狭く、すれ違い渋滞の名所でした。

 川幅も巨岩が跨ぐほど狭く、過去にはたび重なる天野川の氾濫もあり、防災上のネックとなっていました。

 1997年に道路改良工事と河川防災工事が竣工し、磐船神社に入る手前で道路と河川がバイパスされ、道路は新磐船トンネルを、河川は天野川トンネルをくぐることとなりました。

 現在では路線バスや付近の住民などを除き大半の車がバイパスを通行しています。

 磐船神社に行くには、京阪交野線の私市駅から京阪バスで磐船神社前バス停まで行けばすぐです。

 近鉄生駒駅からも奈良交通バスで北田原まで行って、そこから徒歩10分くらいです。

 【磐船神社】※参拝中に現れた神様の姿を見ることが出来た方は大きな幸運が舞い込み始めます|遠隔参拝#75(外部リンク)

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