広島県福山市鞆地区の沼隈半島南端にある港湾とその周辺海域を指しますが、現在は鞆港の港周辺の市街を含めた範囲も「鞆の浦」と呼ぶことも多いようです。

 瀬戸内海の海流は満潮時に豊後水道や紀伊水道から瀬戸内海に流れ込み、瀬戸内海のほぼ中央に位置する鞆の浦沖でぶつかります。

 逆に干潮時には、鞆の浦沖を境にして東西に分かれて流れ出していき、鞆の浦を境にして潮の流れが逆転します。

 このような地理的条件から大伴旅人などによる万葉集に詠まれるように、古代より潮待ちの港として知られていました。

 また、鞆は魏志倭人伝に書かれる「投馬国」の推定地の一つともなっています。

 この港町ができたのは、神話の時代とも飛鳥・奈良時代とも言われ、730年の万葉集にはすでに登場しています。

 鞆の浦の港町である鞆には古い町並みが残り、1992年には都市景観100選に、2007年には美しい日本の歴史的風土100選にも選ばれました。

 1336年に足利尊氏が鞆町後地の小松寺で上皇からの命令を受けて挙兵したことから、室町幕府は鞆ではじまったという説もあるそうです。

 その後、室町幕府最後の将軍足利義昭は織田信長から都を追放され、現在の大阪や和歌山などを転々とした後、1567年に拠点を鞆へ移しましまた。

 江戸時代には備後国を領有した福島正則によって、鞆要害を中心に市街地を取り囲む大規模な城郭「鞆城」の築城が始まりましたが、徳川家康の逆鱗に触れ工事は中止されました。

 その後、徳川家康の従弟水野勝成が備後福山藩の領主となり、鞆城跡には鞆奉行所が設置されました。

 江戸時代の港湾施設である、「常夜燈」、「雁木」、「波止場」、「焚場」、「船番所」が全て揃って残っているのは、全国でも鞆港だけです。

 坂本龍馬が属していた海援隊が借用していた「いろは丸」を鞆の浦沖で沈没させられた「いろは丸事件」でも知られています。

 古くから映画やテレビドラマのロケが行われ、特に2008年公開された”崖の上のポニョ”で、宮崎駿監督が構想を練った地として有名になりました。

 鞆の浦周辺は、1925年に国の名勝「鞆公園」に指定され、1934年に国立公園として初の、瀬戸内海国立公園に指定されました。

 2017年に重要伝統的建造物群保存地区として選定され、2018年には日本遺産に認定されました。

 観光地としても人気で、温泉にホテル、国民宿舎、民宿に露天風呂のある旅館など、宿泊施設も充実しています。

 福山駅からバスで約30分のアクセスでありながら、仙酔島(無人島)が目と鼻の先に見えるなど、自然を目一杯感じることができます。

 日本遺産 福山・鞆の浦公式ホームページ「VISIT鞆の浦」 

 広島県福山市鞆町鞆623-5


鞆の浦観光ビデオ・福山市 (外部リンク)

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