松本城は長野県松本市にある日本の城で、松本城と呼ばれる以前は深志城といいました。
松本城
長野県松本市丸の内4-1
松本城は現存する五重六階の天守の中でも日本最古の木造のお城で、姫路城、彦根城、犬山城、松江城とともに国宝に指定されています。
外壁面上の板に塗られた黒漆の色から黒い城=烏城と呼ぶ人もいますが、文献上では烏城と呼ばれていた旨の記述は見つかっていません。
天守の築造年代は1593~1594年と考えられ、歴史的価値の高い天守を観覧することがおすすめです。
世が戦乱に向かうと、信濃の守護・小笠原氏は信濃府中と言われた井川にあった館を東山麓の林、今の里山辺に移しました。
そこに林城が築城され、その支城の一つとして深志城が築城されたのが始まりといわれています。
深志城は林城の前面を守るために造られ、家臣らは林城を囲むように支城を構え守りを固めました。
天文年間には甲斐国の武田氏による信濃侵攻が開始され、1550年8月27日に林城・深志城などが落城しました。
武田信玄が小笠原長時を追い、松本平を治める拠点として林城を破却して、深志城代として馬場信春を配置しました。
その後は信濃小県郡の村上義清、越後国の長尾景虎と抗争し、北信濃に至る信濃一帯を領国化しました。
1582年に武田氏滅亡により城代馬場昌房から織田長益に明け渡された後、織田信長によって木曾義昌に安堵されました。
本能寺の変後の武田遺領を巡る天正壬午の乱において、上杉景勝に擁立され小笠原旧臣の助力を得た小笠原洞雪斎が奪還しました。
徳川家康の麾下となった小笠原貞慶が深志城を回復し、松本城と改名しました。
1590年に豊臣秀吉が天下を統一すると、徳川家康を関東に移封しました。
このとき松本城主・小笠原秀政が家康に従い下総へ移ると、石川数正・康長父子が代わって入城しました。
石川数正はかつて23年間松本を治め、松本城天守の建築に大きく携わりました。
父子は城と城下町の整備を進め、近世城郭としての松本城の基礎を固めました。
その後、江戸時代初期には大久保長安事件により石川康長が改易となり、小笠原秀政が再び入城しました。
大坂の陣以後は、松平康長や水野家などの松本藩の藩庁として機能しました。
水野家の後は松平康長に始まる戸田氏の嫡流の戸田松平家が代々居城としました。
1727年に本丸御殿が焼失したため、以後の政務は二の丸で執られました。
松本城は、松本の街のシンボルであり、市民の心の拠りどころでもあります。
その後のいくたびかの存続の危機を、市民の情熱によって乗り越えてきた歴史があります。
また、春の桜・夏の新緑・秋の紅葉・冬の雪が積もった北アルプスなど、お城とともに日本の四季折々の風景を楽しめることもできます。
JR篠ノ井線・大糸線、アルピコ交通上高地線、通称・松本電鉄の 松本駅東口から徒歩約20分で、JR大糸線 北松本駅東口からは徒歩約7分です。
バスなら松本駅バス停から、松本電鉄バスタウンスニーカー北コースで約10分、松本城・市役所前バス停で下車します。
松本バスターミナルからは、松本電鉄バス浅間温泉行きなどで約10分、大名町バス停で下車します。
自動車なら松本インターチェンジから約15分です。
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