源三窟(げんざんくつ)は、栃木県那須塩原市塩原に存在する鍾乳洞です。
源三窟
栃木県那須塩原市塩原1118
1910年の開業当時は「源三位穴」という名前でしたが、その後源三窟と変わっています。
頼朝に追われた源氏の落人が、隠れ住んでいた「源氏の隠れ岩屋史跡鍾乳洞」として知られています。
火山活動によりできた鍾乳洞で、全長は50mほどです。
塩原温泉郷に位置しており、火山活動で出来た洞窟内には滝水が流れています。
洞内の温度は年平均15~16度で、夏は涼しく冬は暖かです。
塩原温泉は、箒川沿いの山間に位置する塩原盆地にあります。
今から数十万年前、大噴火により川がせき止められて塩原湖が誕生しました。
鍾乳洞一帯も湖の中で、石灰分を多く含む温泉水の沈殿物により石灰岩地層が形成されました。
その後の地殻変動によって、湖底が隆起して出来たのが現在の石灰岩台地です。
800年ほど前、源有綱が源頼朝軍に追われ、鎌倉の方から逃げてここに隠れ住みました。
義経は藤原秀衡の家来の佐藤継信、忠信兄弟の妹とねんごろになり、妙香という娘を一人設けました。
妙香は、15・6歳のころに有綱のところへ嫁に来たのです。
有綱は義経の娘婿に当っており、1185年の壇之浦の戦いでは義経を父と慕い活躍しました。
しかし、壇ノ浦の戦いの後に源頼朝軍に、義経一族として追われました。
塩原地内をさまよっていたところを、地元の城主であった塩原八郎家忠に捕えられたのです。
義経一族とわかり命だけは助けられ、この洞窟の中で落人の生活に入りました。
再起を計ろうとしましたが、洞窟内に流れる滝水で米をとぎ、とぎ汁が洞窟の外へ流れ出て頼朝軍に発見されてしまいました。
その後、無念の最期を遂げたと伝えられています。
源三窟という名前の由来は、有綱の祖父源三位頼政の源三位をとったことから来ています。
源三位頼政は歌人として有名で、歌の世界で朝廷や平清盛の師匠となり良好な関係を保っていました。
頼政が晩年を迎えたころ、平清盛が自分の孫を安徳天皇として即位させてしまったのです。
そのため、本来天皇になる予定であった以仁王は将来の道を閉ざされ、頼政と手を組んで政府の転覆を図りました。
しかし以仁王側が戦いに破れ、頼政は宇治の平等院で77歳で自害をしてしまいました。
有綱以下5人の孫はまだ年が若く、死ぬには忍びないということで塩原の山奥にやって来たのです。
有綱は京都から宇都宮藩へと向かう途中鎌倉に立ち寄り、頼朝の紹介で義経の家来に入りました。
併設の博物館には、洞窟から出土した甲冑などが展示されています。
洞窟内から見された甲冑をはじめ、150点ほどの武具が展示されています。
アクセスは、JR東日本東北新幹線・東北本線那須塩原駅からバスで乗り継いで源三窟下車徒歩約1分です。
または、JR東日本東北本線宇都宮線西那須野駅から終点下車徒歩約10分です。
自動車なら、東北自動車道西那須野塩原ICから約30分です。
源三窟(外部リンク)