妻籠宿(つまごじゅく)は、中山道六十九次のうち江戸から42番目の宿場町です。

 妻籠宿
 長野県木曽郡南木曽町吾妻2196−1

 所在地は、長野県木曽郡南木曽町吾妻地区に位置しています。

 『続日本記』によると、古代吉蘇路が開通したのは和銅6年(713)のことです。

 永享4年(1432)には、室町幕府に御廐材木を供出した妻籠兵庫助の記録があります。

 慶長6年(1601年)に、徳川家康により宿駅として定められ整備されました。

 江戸と京都を結ぶ中山道を、南から木曾路へ入って二番目の宿場です。

 中山道と伊那街道が交差する、交通の要衝として栄えました。

 天保14年(1843)には、宿内家数は31軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠31軒で宿内人口は418人でした。

 隣宿の馬籠宿とともに、木曾川からは遠くはずれた高地に位置しています。

 馬籠宿と馬籠峠を越える旧中山道史蹟は、合わせて木曽路を代表する観光名所です。

 木曽路らしい町並みをじっくり味わいたいなら妻籠宿、歩きやすさやにぎわいを重視するなら、馬籠宿が向いています。

 明治以降は宿場として衰退しましたが、住民主体の保存運動により町並みが保全されました。

 いにしえの旅籠そのままの「出梁造り」(だしばりづくり)や、「竪繁格子」(たてしげごうし)の家々が建ち並んでいます。

 風情ある通りには、ひっそりと佇む常夜燈や水場があります。

 全国の伝統的な町並みなくなる中で、いち早く地域を挙げ景観保全活動に取り組みました。

 妻籠の人びとは、売らない・貸さない・壊さないを地域の憲章に定めたのです。

 昭和43年(1968)に妻籠宿寺下地区の町並みで、日本で最初の町並み保存が行なわれました。

 昭和51年(1976)に、全国で最初期に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

 江戸末期から明治期までの木造家屋が約1kmにわたり、電柱や派手な看板を排した景観です。

 保存された建物や史跡は、当時の宿場機能を伝えています。

 本陣・脇本陣、高札場、口留番所跡、熊谷家住宅などです。

 現在の妻籠宿では、旅館、食事処、土産物店などが営業しています。

 旅籠や茶屋など、旅人が宿泊・休憩をする場所が30軒以上整備されているのです。

 ただし、外観は伝統的景観を守る形で統一されています。

 世界的に有名なガイドブックや、イギリスのBBC放送で紹介されています。

 外国人観光客の間では、サムライの道(Samurai Trail)と呼ばれるようになりました。

 また、徳川家茂に降嫁した皇女和宮をはじめ、将軍家への輿入れの際に利用した姫が多かったのです。

 このことから、この街道は姫街道とも呼ばれていました。

 アクセスは、JR東海中央本線南木曽駅から路線バスで約10分です。

 自動車なら、中央自動車道中津川ICから約30分です。

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